ソーシャルワーク知識創造は、ソーシャルワーク知識創造協会が執筆しています。
知識共創の考え
けあの学校
知識共創という言葉を聞いたことはないだろうか?
知識共創とは、「知識を共創する」ということで、「共創」とはいっしょに作り上げるという意味である。
文字通り読めば、「誰かと一緒に知識を創る」ということになる。それは一体どういうことなのだろうか?
知識を創るということは、何か新しい知識を創り出すということで、それを誰かと一緒に行うのだから、グループワークのような形で、メンバーといっしょに新しいアイデアやコンテンツを作るということなのだろうと想像するでしょう。
確かに、大まかに概略すれば、そのような意味になるでしょう。
しかし、知識共創には共創するひとが持ち寄ってくる様々な知識をどのように融合させていくのか、または融合させずにおくのかを取捨選択する等の知識共有が前提に必要とします。
互いの持っている手ごま(知識)を共有してはじめて、共創ができることになります。
そして、知識共創には、互いに影響を与え合うことで、知識の創造に変容が起きることが期待されます。しかし、そのような変化がないこともあるでしょう。重要なことは、誰かと一緒に知識を創造して、その知識を活用していくことができるという状況に至ることに意味があるのです。生産された知識が共創しない時よりいいものになるという具体的な功利がないとしても、知識共創には新しい可能性があるのです。それは、知識の多様性を生産することにあります。知識の多様性は必ず、後々の知識生産の可能性を広げることにつながることでしょう。
フレンド・ショアリング
米国バイデン政権は、「フレンド・ショアリング(friend-shoring)」というコンセプトをが提唱している。フレンド・ショアリングは「信頼できる貿易パートナーとの経済統合を深めること」で、同盟関係や友好関係にある国地域内でのサプライチェーンを構築するとともに、さらに多様化し、経済的リスクの軽減も進めることを含めて考える。
フレンド・ショアリングは米中間の覇権競争の顕在化と深刻化の中で、2016年頃から米国の経済安全保障の一環として構築を急いだサプライチェーンの重要なコンセプトである。
直接的には、米中覇権競争、世界的なコロナパンデミックやウクライナ戦争等による対応として出現した考え方とみることができるが、行き過ぎたグローバル経済の適正化もしくはパラダイムシフトとして捉えることもできる。
●2021年「繁栄のためのインド太平洋経済枠組み(IPEF:Indo-Pacific Economic Framework for Prosperity、以下IPEF)」(東アジアサミットでバイデン大統領によって提唱)
●2022年「貿易・技術協議会(TTC:Trade and Technology Council)」の設立。米国とEUの間での経済安全保障の確保を目的。
フレンド・ショアリングは、経済安全保障は保護主義によってのみ実現可能という主張への反論でもある。国内生産や少数の国との取引にだけ限定してしまえば、貿易の効率向上を著しく損ない、アメリカの競争力とイノベーションに打撃を与えるだろう。私たちの目標はリスクのある国との取引やサプライチェーンの集中から脱却し多様化を図ることだ。フレンド・ショアリングは閉鎖的ではなく、先進国に加え新興市場や途上国におけるアメリカの貿易パートナーも含めたオープンなものになる。
技術経営の手帳 · 技術の統治と人間の統治
技術(technology)は、人類に様々な可能性を与えてきた。その範囲と影響力の大きさは限度がなくなりつつあるようにみえる。
しかし、技術は自らの意思を持つわけでも、それ自体で成長したりすることもできない。技術は統治することもできる存在である。
技術が人類によって統治可能だからといって、その統治を行えるというわけではない。
技術は、そもそも知識である。知識は人間と切り離して存在することはできない。
そして、技術は科学とは異なる。技術はあくまで科学知識を人間の特定の目的のために再構築したものである。
故に、技術は二重の意味で人間社会から切り離すことができない存在である。
このように人間と切り離すことができないという性質から技術は統治が困難になっている。人間は不可思議の塊で、さらにその人間が複数人集まれば週癌・社会が形成される。
人間一人でも予測や統治が難しいが、社会という単位になるともはや統治は部分的にしかできない。完全に人間や社会を統治するという幻想を持つのが全体主義である。
統治の対象が人間・社会であれば、部分的にでも統治できているのであるから問題ないが、技術は完全統治できなければ問題が生じる。
なぜなら、技術は一粒でも取りこぼせば社会全体、人類の命運を途絶えさせるような力を持っているからである。
技術を統治することは今後、人類の歴史を永らえさせるために構築せねばならない知識なのだ。